意味から始める情報学

なぜ、マスメディアの情報はイマイチ信頼できないのか。それは意味がわからないからだ

ゴーン事件、ケリー被告の朝日新聞「一部無罪」報道について

日産元会長、カルロス・ゴーン氏の事件で、東京地裁元代表取締役、グレッグ・ケリー氏に対し、金商法違反(有価証券書の虚偽記載)で懲役6月、執行猶予3年(求刑懲役2年)の判決を言い渡しました(3月3日)。東京地裁は、起訴された2010~17年度のゴーン氏の「報酬隠し」を認めたものの、ケリー氏は17年度以外は共謀がないとして大半が無罪となりました。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE24D090U2A220C2000000/

 

ケリー氏はゴーン氏らと共謀し、10~17年度の日産の有価証券報告書にゴーン氏の役員報酬を計約91億円少なく記載したとして起訴されていました。判決は過少記載を認めつつ、ケリー氏は17年度を除いて当該事実を知らなかったと判断したとのことです。

 

個人的には、そもそも有価証券報告書の虚偽記載に当たると思っていなかったので、ゴーン氏の虚偽記載を認めた今回の判決は意外でしたが、法的な検討については多くの方が論じられておりますので、ここでは説明を省きます。

 

今回ここで触れたいのは、当判決を伝えた朝日新聞電子版の記事の見出しです。「日産ケリー元役員に有罪判決、一部無罪 ゴーン元会長の報酬隠し事件」

https://www.asahi.com/articles/ASQ325278Q2QUTIL04W.html

この判決で「一部無罪」の見出しに驚きます。

 

この記事の本文にもあるように、10~17年度の有価証券報告書の虚偽記載について問われたうち、有罪になったのは17年度分だけ。1/8です。

 

朝日新聞は、ゴーン氏の乗っていたプライベートジェット機に検察関係者が乗り込む映像、写真までつけて逮捕を報じました。ここから朝日新聞は他メディアに先行して、捜査関連情報を報じていきました。

 

https://www.asahi.com/articles/ASLCM5QBXLCMUTIL02C.html

 

ニュース記事の性質を理解するために、私は次のようにその前提を説明してきました。
メディアはsource(取材源)の言明(話)を採取、選択、利用してそれ自体の言明を提示する。

主要メディアにとって警察・検察などの行政、司法機関は固定されたポストのように昼夜情報を集荷する先であり、その他の取材先はその内容に合わせて選ばれるに過ぎません。判決という川下のポストにたどり着く間に、情報の内容はそれまでに集荷された内容で固まってしまうのでしょう。

 

明らかに記事本文の内容とも矛盾するのに、これまで検察の言い分を伝えてきた報道の経緯、検察との関係性があるから、反射的にこういう見出しになってしまう。無罪を唱える識者もいたので、一部でも有罪判決になり、また会社の有価証券報告書虚偽記載は全面的に認められたので、正直ホッとしたのではないでしょうか。

 

思考、認知がロックされ、素直に判決を読む、伝える、ということができなくなっていることに、恐ろしさすら感じます。私は朝日新聞をよく取り上げるのですが、敵意があるのではなく、むしろ進歩的な立ち位置をとっていると理解しているからで、その朝日新聞がこういうことになるところに恐ろしさを感じているのです。

 

なお、他メディアもインターネットで見てみましたが、さすがに「有罪」か「大半無罪」、「一部有罪」としていました。また、日経新聞は私の見間違えでなければ当初「一部無罪」としていたところ、途中から「一部有罪」に更新されました。他社の見出しを見て焦ったか、社内で指摘が入ったということでしょう。

 

朝日新聞につきましても、同日の紙の夕刊での見出しは「大半無罪」でした。紙の方は、ゲラ刷りなどを多くの人間が見て検討するし、他社の見出しも見る時間があるので冷静になったのでしょう。しかし、初動にそれまでに刷り込まれた意識が表れていると思います。