意味から始める情報学

なぜ、マスメディアの情報はイマイチ信頼できないのか。それは意味がわからないからだ

黒川元東京高検検事長のマージャン騒動について③

前回、公務員との関係に関して、メディア側が何らかの規準を設けることについて考えてみたいとお伝えしました。

 

メディアと取材先(公務員を含む)との関係について、現状はどんなルールがあるのか、少し調べてみたところ、ちょうどタイムリーな記事に出会いました。

 

「賭けマージャン取材」の必要性を報道倫理から考える(奥村 信幸) | 現代ビジネス | 講談社(1/8)

 

記事ではメディアの倫理の在り方について考察しており、欧米メディアが実際に設けている指針について解説しています。

 

欧米の主なニュースメディアは、自分たちの使命を「現在知り得る限りの真実を伝える」(米・ワシントンポストの「7つの原則」)とか、「正しい知識を持った公衆をつくる」(米・公共ラジオNPRの「我々のジャーナリズムの原則」)とか、「『恐れや好みを排除して』できる限り偏りのないニュースを伝える」(米・ニューヨークタイムズの「倫理的なジャーナリズム」ハンドブック)など、「読者に対する約束」として規定しているところが多いようです。

それに対し、日本のメディアは「正義人道」、「民主主義と自由」、「世界平和と繁栄に貢献」など、曖昧な原理原則を謳うものが大半です。「真実」や「不偏不党」といった表現は見られるものの、「どのようにしてそれを守るか」という「How」についての説明がありません。

 特に、ニューヨークタイムズの「倫理的なジャーナリズム(Ethical Journalism)」ハンドブックでは、情報源とのプライベートな接触によって情報を取る行為について、"Personal Relations with Souces"として、詳細なガイドラインがあることが紹介されています。

 

www.nytimes.com

 

実際の内容は記事やEthical Journalismの原文を是非ご覧いただきたいのですが、私がEthical Journalismを読んで特に注目した点が一つありました。

 

"Appearence"ー外観-という言葉が何度も出てくる点です。"appearence of conflict(利益相反の外観)", "appearence of partiality(不公平の外観)"など。Ehical Journalismの冒頭でニューヨークタイムズの目的は可能な限りimpartially(公正に)ニュースを伝えることにあり、また読者、取材源、広告主、その他の人々を透明に、公平に扱い、またそのように見られるようにすること(”to be seen to doing so")にある、としています。中立性が脅かされているような外観を呈さないために、一連のルールがあるのです。

 

他方、日本のメディアはそもそも具体的な倫理規程を欠いていますが、この「外観」という概念について、発想自体が存在しない、もしくは非常に意識が低いと言っていいでしょう。例えば重要な取材先の親族、あるいは大学の同級生のような親密な関係を持った人が記者の中にいれば、この記者を通じて他社が取れない情報を取れるかもしれないと、プラスの側面を中心に考えるでしょう。しかし、そこにはメディアと取材先が癒着するリスクがあり、また実際に癒着があるかは別として、第三者から癒着していると見られる可能性があります。Ethical Journalismはこのようなリスクを考えて、まずその関係を報告すること、状況により特定のニュースから外れる、担当を変わるといった措置をとることが適切であるとしています。

 

私がこの「外観」という言葉にピンときたのは、これが会計監査における監査人の独立性を語る上でも重要な概念だからです。

会計監査の目的は、監査人(公認会計士)が独立の立場から、経営者の作成した財務諸表の信頼性を保証し、投資者、債権者などの利害関係者を保護することです。したがって、当然に独立性ー特に経営者からのーが要請されます。監査人の独立性を担保するために、公認会計士法のような法律による規制のほか、公認会計士の職業団体が自ら倫理のルールを設けています。

  

国際的な公認会計士の職業団体である、IESBA(国際会計士倫理基準審議会)は職業会計士が社会的責任を果たすための、基本的な倫理の規準を"International Code of Ethics for Proffesional Accountants"(倫理規程)として規定しています。その中の"International Independence Standard"(独立性の規準)に精神的独立性(Independence of mind)と外観的独立性(Independence in appearance)という2つの独立性についての説明があります。

International Code of Ethics for Professional Accountants | IFAC

日本では、公認会計士協会(公認会計士の職業団体)がIESBAの倫理規程と整合的にルールを設定しているので、こちらを見てみましょう。「独立性に関する指針」が、日本における”International Independence Standard"です。

倫理諸則 | 日本公認会計士協会

独立性に関する指針

独立性は、次の精神的独立性と外観的独立性から構成される。

(1) 精神的独立性

職業的専門家としての判断を危うくする影響を受けることなく、結論を表明でき る精神状態を保ち、誠実に行動し、公正性と職業的懐疑心を堅持できること。

(2) 外観的独立性

事情に精通し、合理的な判断を行うことができる第三者が、全ての具体的な事実 と状況を勘案し、会計事務所等又は監査業務チームの構成員の精神的独立性が堅持 されていないと判断する状況にはないこと。

(なお、IESBA倫理規定では400.5を参照のこと)

例えば監査人が監査を行う先の役員だったり、株主だったりした場合、外観的独立性、つまり客観的、形式的な独理性は損なわれているといえます。そのような状況で監査が行われれば、社会からの信頼を失って、監査制度の存在自体が危ぶまれてしまいます。ですから、こうした関係にある会社の監査は、公認会計士法上禁止されています。倫理規則では、より細かく、例えば監査人の家族が経理で財務諸表の作成に関わっている場合などをリスクとして捉え、状況によりどのように対処していくかを示しています。被監査会社との間で独立性に問題が生じている場合は、その会社の担当から外れる、といった対処がとられます。

 

これは、先ほどのニューヨークタイムズのEthical Journalismに示されている枠組みと同じですね。

 

本来、精神的独立性(Independence of mind)が担保されていれば、監査にしても、取材にしても、公平な判断が可能なはずです。外観的独立性(Independence in appearance)が要されるのは、次のような理由からです。

  • 外観的独立性が損なわれている状態では、利害関係者から独立性に疑いをもたれてしまい、制度が成り立たない
  • 精神的独立性は心の問題であって、具体的に規制できない。外観的独立性は規則等の外形基準で具体的に規制ができる
  • 外観的独立性が損なわれると、精神的独立性も失われてしまう可能性がある

どうでしょうか、メディアにも当てはまらないでしょうか?「利害関係者」のところは「情報の受け手」とでも置き換えて頂ければいいと思います。

そして、今回の黒川元東京高検検事長のマージャン騒動にみる、メディア側の問題の核心を突いていないでしょうか?