意味から始める情報学

なぜ、マスメディアの情報はイマイチ信頼できないのか。それは意味がわからないからだ

情報の正体ー言明とアサーションのまとめ①

今回は言明とアサーションについてまとめてみたいと思います。

といいますのも、この二つの用語は本ブログの鍵概念である上に私自身が言葉の使い方をはっきりさせる必要があると感じたからです。前々回と前回のブログで無意識のうちに「二重の言明」「二重のアサーション」という言い回しを特に区別することなく使っておりました。用語を混同したかと思い、訂正することも考えましたが、結論としては両方の言い方が可能で、前者の下位概念が後者であり、ほぼ同義で使うことも可能であろうと判断しました。したがって、訂正することはしないのですが、正直自分もちゃんと区別できていなかったし、読む人に疑念を抱かせるおそれがあるので、ここで整理致します。それは取りも直さず情報の正体を明らかにすることになります。

 まずは定義を確認しましょう。

 言明(Statement)とは「真偽または確からしさを決定することのできる主語と述語からなる文

であり、

(言明)の真偽を決定(証明)できるのは、われわれが当該言明の意味(アサーション)を知っているからである

 

いかなる言明にも、それを作成した当事者(通常の場合、企業の経営者)の主張が含まれている。財務諸表監査において監査人が関心をもつアサーションとは、財務諸表の作成者である経営者の会計上の主張であり、会計的言明(accounting statement)としての財務諸表に含められた会計上の意味である。

いずれも(鳥羽至英ら共著「財務諸表監査」国元書房、2016)

 具体的なアサーションは、例えば貸借対照表に借入金100万円が計上されていれば、期末日の借入金は100万円ですべてであり、他に借入金はない(網羅性)、とか、借入金に関する利息1万円が損益計算書に計上されていれば、利息1万円はすべて当期に帰属する(前期や翌期に帰属する利息は計上されていない、期間帰属の適切性)といった形で表されるのでした。

 

そして、それらのアサーションは経営者の主張といいながら、直接的に経営者が表明しているものでもありませんでした。情報の信頼性を保証する監査人が自ら識別するものであり、アサーションがどの程度確からしいか検証するのが監査なのでした。

 

では、なぜ監査人はアサーションを特定できるのでしょうか。それは会計には公のルール(一般に公正妥当と認められた企業会計の基準)があり、経営者はそのルールに沿って財務諸表を作成することが求められるからです。経営者が適正に財務諸表を作っていれば当然にそのルールと合致するはずであるため、信頼性を確かめるには、財務諸表がそのルールに沿っているとの仮定(=経営者の主張)を検証すればよいのです。この検証ポイントがアサーションになるのです。

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問題はメディア情報です。メディア情報の作られ方にルールは果たしてあるでしょうか?

この問題についてはまた詳解したいと思いますが、一義的にはないといってしまってよいと思います。なぜなら、少なくとも情報の作り手、受け手にとって共有できる「これ」と言えるルールブックはないからです。したがって、メディア側は「信頼できる情報」を提供していると主張しても、意味(アサーション)を受け手は見いだせないのです。この問題については郵便不正事件を題材に触れました。

この問題で特に伝えたかったのは、事件報道は警察検察の捜査動向を主体として情報発信しているだけであり、被疑者の容疑事実の確からしさなどとは全く関係がないということです。そのような評価をメディアはわざわざ自分の手で行っていません。つまり、逮捕報道があっても容疑者の容疑事実は確かであるとか、確かでありそうだとか、といったアサーションは含まれていません(警察検察側の主張としてはあると思いますが)。 

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一番メディアの欺瞞を感じるのはメディア側が「メディリテラシー」の重要性を強調することです。

メディアリテラシー」については色々な定義があると思いますが、ざっくりと、「メディアがもたらす情報を正しく理解し、活用する」と考えたいと思います。

 

なお、はてなキーワードにも解説がありました。

d.hatena.ne.jp

 

メディアが取り組むメディアリテラシーの向上については、例えば日本新聞協会が設立したNIE「新聞に教育を」が行っている教育活動として、特定のテーマについて複数社の新聞を比較読みすることなどが挙げられます。また、メディアに関する論評の中には、メディアリテラシーの向上が課題であるかのような発言もたびたび目にします。新聞社の設立する紙面検証委員会の委員もそんな趣旨の発言をしていたような記憶が、、

 

しかし、まず情報の意味、例えば記事のどこからどの部分がどの情報源の情報を元にしているのか、どのように情報を選択しているのか(単に重要だから取り上げたとかではなく、報道のプロセスを示すこと。ただこれだけのことがどこにも書いてない)、結局伝えているメディア側はそのニュースをどのように評価しているのか(あるいは評価していないのか)をはっきりさせる必要があるでしょう。

メディアの情報開示について食品に例えるならば、添加物について一切の表示をせずに、食の安全を消費者の知識と懐疑心に100パーセント依存させているようなものです。

 

まとめの続きを次回書きます。

 

(2020年4月4日編集)