意味から始める情報学

なぜ、マスメディアの情報はイマイチ信頼できないのか。それは意味がわからないからだ

「言明」「アサーション」を使って吉田調書報道問題を読み解く

ここまでお伝えしてきた「言明」と「アサーション」という概念を使って、近年問題になった報道事例を分析していきたいと思います。今回は朝日新聞の吉田調書報道を取り上げます。

 

問題の概要

朝日新聞は2014年5月20日朝刊の1面トップで「所長命令に違反 原発撤退」と見出しを付け、独自に入手した東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎氏(故人)の証言(吉田調書)によると「東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある」などと報道しました。

ところが、その後の9月11日には、同調書の内容からは所長命令に違反し、所員が原発から撤退したとしたのは誤りであったとして、記事を取り消しました。木村伊量社長が記者会見を開き、読者と東電関係者に謝罪するまでに発展しました。当時の朝日新聞は直前の8月にも慰安婦問題に関する記事を取り消しており、再び大きなダメージを受けたのでした。

 

吉田調書によると吉田氏は「本当は私、2F(福島第二)に行けと言っていないんですよ。(筆者中略)福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもり」となどの発言があったといいます。そして、実際に所員の9割は第二原発に行ったため、担当記者はこれを「命令に違反して撤退」と原稿に書き、見出しにもなったのです。ところが、この指示が所員の多くに的確に伝わってないと考えられることがわかったのです。その後の追加取材で実際に退避した所員の話では、吉田所長の発言を直接聞く機会はなく、上司に指示されて第二原発行きのバスに乗ったが、その前日に話が出ていた第二原発に行くという方針が維持されたと受け止めた、というのです。

加えて、吉田氏自身が同調書の中で実際には「2Fに行けとは言っていない」の後に「ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです」と続けており、さらに「よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです」と吉田氏自身が第二原発に行ったことを肯定していたことがわかったのです。

これらの吉田氏の証言は5月20日の紙面には掲載されませんでした(デジタル版には掲載)。

つまり、これらの証言を鑑みれば吉田氏の指示は所員に伝わっていなかった可能性が高く、また吉田氏自身が第二原発への退避を肯定していることから、「命令に違反」とはいえないと問題視されたのです。また、さらに「撤退」という言葉を使ったことで「否定的な印象を強めており、読者に所員の行動への非難を感じさせる」と、朝日新聞が設置する「報道と人権委員会」(PRC)も指摘し、記事の削除が妥当であるとしています。そして、何よりそのような疑念を生じさせる吉田氏の証言自体が当初の紙面に掲載されなかったので、担当記者は否定しているものの、恣意的に証言を選択したかのような印象が残り、「記事は、公正性、正確性への配慮を欠いていた」とPRCは評価しています。

 

ここで、前回示した「言明」と「アサーション」の概念から、この問題を分析してみましょう。

 

言明とアサーションから分析してみる

―誰の言明か―

言明とは「真偽または確からしさを決定することのできる主語と述語からなる文」であり、「真偽を決定(証明)できるのは、われわれが当該言明の意味(アサーション)を知っているから」でした。 

alvar.hatenablog.com

 

したがって、情報の信頼性を検討する際には、言明の意味を考えることが必要であり、その前提として情報が誰の言明であるのか明らかにすることがまず必要となるのです。

この報道は吉田氏の証言について朝日新聞が記事化して読者に伝えていると考えることができるでしょう。これはどういうことかというと、二重に言明が存在しているということになります。

①吉田氏の証言

朝日新聞の吉田調書の報道

さらに細かいこというと、①は(a)吉田氏が吉田氏の体験に基づく証言と(b)(a)の吉田氏の証言を聴取、反映した調書(書面)とに分類できるでしょう。そして②が伝えているのは①(b)の内容です。そして、それぞれの言明について真偽を考えることが信頼性を検討することになるのです。

 

①吉田氏の証言―真 or 偽

(a)吉田氏が吉田氏の体験に基づく証言と―真 or 偽

(b)(a)の吉田氏の証言を聴取、反映した調書(書面)―真 or 偽

朝日新聞の吉田調書(①(b)の報道)―真 or 偽

 

 

朝日新聞が負っている情報の信頼性とは、まず吉田調書の内容を適切に伝えているか(②)、ということになるでしょう。そしてまさに、この点が問題になったわけです。

もう一つ信頼性という観点で別の見方もできます。吉田氏の言明自体が真実であるのか(①)、すなわち本当に2Fに行けとは言っていないのか、とか、吉田氏の証言が調書に適切に残っているのか、ということです。

私は、この情報提供者の言明自体の真偽についてはマスメディアの責任の範疇を外れていると思っています。といいますか、そのことをマスメディア自体がはっきりと明言すべきだと考えています。以前にも申し上げましたが、マスメディアが伝える情報は、基本的には信頼できる情報源から得た情報を伝えているから、信頼できるのです。例えば行政機関が発表する種々の情報について、一々それが正しか検討しているマスメディアはありません。それが誤っていれば、発表した行政機関が責任を負うまでのことなのです。

つまり、今回でいえば、吉田氏の証言はすべて正しいことが前提で記事は書かれていくものであるのです。この二重のアサーションはメディアのあらゆる情報を検討する際のキーになる観点なので、今後も事例を交えて説明していきたいと思います。

 

アサーション(意味)を考える―

アサーションとは情報の意味でした。いくつかに分解して考える必要があります。

朝日新聞の「評価」

問題となった記事は「所長命令に違反」との見出しで「東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある」と伝えました。これは端的に言うと朝日新聞記者の「評価」になるでしょう。

「命令に違反して撤退」したとは吉田氏は言っていないし、記事も吉田氏がそう言っただとか、吉田氏がそのように評価しているとは書いていないのです。したがって、この「命令に違反して撤退」の言い回しはマスメディア側の「評価」としての表現になるといえるでしょう。そしてこの「評価」を誤った、というのが今回の問題だったわけです。

 

・吉田調書報道の「正確性」と「網羅性」

「本当は私、2F(福島第二)に行けと言っていないんですよ。(中略)福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもり」

こちらは吉田氏(正確には吉田調書)の言明そのものの「正確性」になるでしょう。吉田調書には××の情報が記載されています。朝日新聞はその記載を正確に再現しています、というのがアサーションになります。もちろん、朝日新聞がどこかでそのような宣言をしている訳ではないです。ただ、この記事の情報が信頼できる、あるいは朝日新聞が信頼性を保証していると考えるならば、その信頼性の内容を考えなければならず、その内

容がアサーションということになるのです。

そうした意味で「ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです」という記載が省略されていたことは「正確性」に疑念を生じさせます。あるいは別のアサーションが問題になるかもしれません。「この記事には吉田調書の内容を伝えるための記載が網羅的になされている」というアサーションです。情報が正しく受け手に伝わり、適切に評価されうるには、情報の「網羅性」(情報の恣意的な選択と対極にあるといえる)が必要になるでしょう。だから、当然に新聞記事は「網羅性」があるというアサーションが存在しているのでしょうか。実はそれさえも、明らかではありません。つまり、新聞社が提供している情報の信頼性とは何か。少なくとも「正確性」は含まれるであろう。しかし、その正確性には「網羅性」も入るのだろうか。入るとしたらどのように情報を取捨選択して「網羅性」を確保しているのか。アサーションを考えることは、記事の「信頼性の質(中身)」を決定することになります。これまで、メディアはそうした情報の意味を明確に示すことなく、曖昧にすることで、信頼性に対する責任を曖昧にしてきたといえるでしょう。それこそが最大の問題だと思います。

 

長くなりました。すみません、ところがまだ書きたいことがありまして。。

 

「所長命令に違反」という朝日新聞の「評価」について、あえて別に問題なかったのではないか?という視点から次のブログに追記させて頂きます。