意味から始める情報学

なぜ、マスメディアの情報はイマイチ信頼できないのか。それは意味がわからないからだ

会計監査とは③情報の検証とは意味を考えること

前回、財務諸表全体としての適正性という抽象的な目標を達成するために、具体的にはより下位の立証の目標を立てるということを説明しました。より下位の目標を立てるというのがどういうことかというと、例えば貸借対照表は現金預金や有価証券、借入金、資本金といった各財務諸表科目で構成されますが、各科目に計上される金額の意味を考えて、その意味に対して適切な監査手続きを選択するということなのです。例えば貸借対照表に現金預金が100万円計上されている場合、次のような意味があると考えるのです。

①現金預金100万円は実在している。(実在性)

②会社が所有する現金預金は100万円以外にない。(網羅性)

③現金預金100万円は会社に帰属している(所有権がある)。(権利と義務の帰属)など

あるいは損益計算書に売上1,000万円が計上されている場合、次のような意味があると考えます。

①売上1,000万円は実在している。(実在性)

②売上1,000万円以外に売上はない。(網羅性)

③売上1,000万円は会社に帰属している。(権利と義務の帰属)

④売上1,000万円は当期に帰属している。(期間配分の適切性)など

 

現金預金を例にとれば、A銀行に確認状を送り、A銀行の口座の残高が100万円であるとの回答を得ることにより、この現金預金100万円の実在性を確かめることができます。また、送付する確認状は会社の代表者の名前とともに社判を押して送付するのですが、銀行はこれらの情報をもとに口座を特定して回答するため、まずもってその100万円は会社に帰属するものであるといえるでしょう。難しいのは網羅性です。A銀行の口座には100万円しか残高がなくとも、B銀行の口座にはさらに50万円が預けられているかもしれません。もし、この50万円を無視して貸借対照表の現金預金が100万円と表示されていれば虚偽表示となり、適正に表示しているとはいえなくなってしまいます。そこで、確認状をすべての取引銀行に送り、現金預金の計上額に漏れがないか確かめるのです。同じことは借入金にもいえます。

 

売上でいうと、期間帰属、すなわちどのタイミングで売上を認識するかも問題になります。代表的な考え方には出荷基準と検収基準があります。その名前のとおり、前者は得意先に商品を出荷したタイミングで売上を認識し、後者は得意先が自社の商品を受領し検収したタイミングで売上を認識します。いずれの考えを採用しても、翌期に帰属すべき売上が当期に計上されていたり、当期に帰属すべき売上が翌期に計上されていたりすれば虚偽表示となります。例えば12月決算の会社で出荷基準を採用していた場合、X年の1月1日に出荷した売上について、X-1年の売上に計上していたらX-1年の売上は過大に計上されていることになります。こうしたことが起きていないか、出荷の記録である出荷報告書の日付や売上の記録である売上伝票を確認して各取引の売上の認識が正しいことを確認するという監査手続きが選ばれるのです。

 

以上のように、大事なのは信頼性を検証しようとしたら、そもそもその情報の意味を考える必要がある、ということです。意味を理解できて初めて信頼性の検証が可能となります。意味が不明瞭だったら信頼性を検証するスタートに立っていません。例えば売上が1,000万円というのがある特定の期間に帰属する売上かもしれないし、会社が設立してから今までの累計の金額を意味するかもしれない、あるいはある特定の得意先との取引分しか計上されておらず他にも売上が実在している可能性もある、といった情報の意味があやふやな状況では検証の対象が存在しないのです。

会計においては財務諸表の作り方そのものにルールがあり、「一般に公正妥当と認められる会計基準」と呼ばれています。経営者はそのルールに従って財務諸表を作る必要があります。売上を適切に期間帰属させるというのも、会計のルールで求められていることなのです。裏を返せば、財務諸表の意味はルールに基づいて明らかにできるということなのです。また、それ故に財務諸表が有用な情報足りうるのだ、ということができます。

 

私が、このような監査論の考えをご説明しているのは、あくまでメディア情報の信頼性について話したいからでした。

過去のブログに書いたように、メディアの情報(特にニュース)は、はっきりいってその意味がわからない。だから、本来信頼性を検証することができない。結果、メディア側がどんなに信頼性を強調したり検証したりしようとも、情報を受け取る側には不信感が残ります。逆説的に言えば、朝日新聞の吉田調書問題や従軍慰安婦問題、池上さんのコラム掲載拒否問題などなどの、検証記事やお詫びの会見など、事後的な対応の中において、はじめて記事の意味が明らかになるのです。

 

追記

他の方のブログを読んでいたら、↓のような過去の投稿がありました。

私が言いたいのはこういうようなことなんですね。

特に難聴になったいきさつと退職理由。

ryan-vandez.hatenablog.com

 

 

alvar.hatenablog.com